宮ヶ浜Ⅰ(宮ヶ浜港防波堤)

南薩線ついて取りあげている最中ですが、同時進行的に指宿枕崎沿線に関する物も紹介していきたいと思っております。記事の順番は画像データ、文章が整い次第順次アップしますね。

今回は指宿枕崎線の方から。

元々は指宿枕崎線の薩摩今和泉駅から隣の宮ヶ浜駅まで海沿いを歩く内容で考えていましたが、後々調べていくと海沿いの道も面白いに加え、なかなか見応えのある建造物とういうか施設があるので先に紹介しようと思ったところであります。ただ、今和泉から宮ヶ浜にかけての海岸道路が災害のためにまだ通行止めになっている可能性がありますので、その点はお許しくだい。

まずは今和泉から宮ヶ浜にかけての海岸沿いを歩くと道路の先は青い海が見えます。右奥には指宿名物の知林ヶ島も見えています。

道路沿いに青い海と知林ヶ島が見える。車通りが少なくてゆっくり眺められるスポットは意外と少ない。

この道路沿いをさらに進むと下の写真のようなものが見えます。

古い灯籠ようなものが気になるところです。

さらに進むと灯籠らしきものが見える。

実はこの施設、宮ケ浜港防波堤(捍海隄かんかいてい)といい天保4年、第27代薩摩藩主島津斉興が長さ2300m、高さ5mの防波堤を築かせました。形は三日月型で北東〜東向きからの波を防ぐ格好となっています。防波堤が作られた理由は「宮ヶ浜の海は遠浅で船を安全に停泊させるところがなく台風で船が転覆する恐れがあった」だったそうです。この地は幕末の海商・濵﨑太平次ゆかりの港でもあります。(指宿港に彼の銅像があったと思います)

宮ヶ浜防波堤広めの図。船を留める係留施設もある。

また、当時の宮ヶ浜は指宿郷の地頭仮屋(役所)や商家群が建ち並ぶにぎやかな港町で、港は奄美や琉球に向かう船の発着場の一つでもありました。

今でもその名残が宮ヶ浜駅周辺の建物に見ることができます。

防波堤自体は石積みの階段状で構成されている。これで潮位の変化に対応できる。
なお、石の材質は凝灰岩である。

防波堤自体は石積みの階段状で構成されています。こうすることで潮位の変化に対応できることがわかります。なお、使われている石は知林ヶ島や大隅半島(根占)で産出された凝灰岩であるそうです。

石積みのアップ。
石積みを正面から。

こうしてみると一つ一つの石の大きさは違うのですが、全体としてみると綺麗に整って見えるのがすごいなと感心してしまいます。お城の石垣もですが、昔の石工さん達の技術はすごい。

つい最近知ったのですがこの防波堤は登録有形文化財に登録されているそうです。

宮ヶ浜編前半は石灯籠と桜島の2ショットで締めようと思います。

この石灯籠は今で言う灯台の役目を果たしていたと思われます。宮ヶ浜駅に立ち寄った際はここまで足を伸ばすのも非常におすすめです。

石灯籠と桜島。