霧島・高原 Ⅰ

10月11日、霧島の新燃岳が6年ぶりに噴火した。

下の写真は2011年の1月に噴火した時の様子から。

この後、3•11震災がおこる。

2011新燃岳噴火

ここまで大事になっているのか⁉︎

物見遊山ではないけれど、

霧島方面に来いと呼び出されたような気がしたので、

とりあえず車を走らせてみた。

まずは霧島神宮へ

霧島神宮の休憩所にある池

天気のせいか、温泉の色はこんな色だったのかなと思いつつ、境内へ。

霧島神宮

私の立っている足元にパワーを感じた。

特に気が強いところなのかなと思う。

霧島神宮の御神木
霧島神宮の御神木
御神木アップ
御神木アップ

枝の一部が神殿に向けて拝んでいるようにもみえます。

こちらは本殿の奥にある山神社。

山神社

知る人ぞ知るところですが、

こちらも参拝した。

続けて御池へ。

御池
御池

高千穂の峰や新燃岳は見えず、

噴火しているのか確認できなかったけど、噴火はしていたようです。

続く。

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613号

私が鉄道好きになったきっかけ。

それは、鹿児島市内には大正元年から路面電車(通称鹿児島市電)が走っているから。

写真の車両は600形613号。

鹿児島市電613号
鹿児島市電613号。1日数本の鹿児島駅前発中央駅前経由谷山ゆき。

製造は昭和37年で現役の車両の中では古参の部類に入ります。

私が昭和54年生まれなので、

生まれた頃にはすでに17年ほど走っていたということになる。

それでも当時は新車の部類に入っていたと思う。

ちょうど車両の冷房化が始まっていた頃だったかなぁ。。

私が小さかった頃は

460形2両、

500形15両、

600形16両、

700形4編成

800形32両(元大阪市電、現在9500形)

いたそうで、現在は廃止された伊敷線と上町線も含め走りまわっていた。

鹿児島市電の車両は黄色と緑という配色なので、

かぼちゃ電車

とも呼ばれたりしている。

 

最近になると、鹿児島市民には馴染みが薄いのだけども、

同形の一部車両の配色が黄色が濃いオレンジ、緑が濃い緑で、

東海道線や山陽線で走っている湘南色っぽいのもいる。

613号
613号。2系統郡元発中央駅前経由鹿児島駅前行き。

見た目はバリアフリーではなく、古臭くも感じるようですが、

履いている台車が(路面電車では珍しい)空気バネ式なのもあって、

乗り心地はすごくいい。走行音もかなり独特。

ただ、手入れがすごく大変だそうなのでいずれは引退の時期がくるのでしょう。

新形車両が多く走っているなか、旧型の車両が走っていることが減っているので、

(昔は当たり前にいたのでなんとも思わなかったけど)

今となっては乗れてラッキーだと思う。

思川橋りょう

今回は鉄道ネタまとめ。

先日、重富のテツロウさん邸を訪れた際に、

姶良市の思川にかかる鉄橋(思川橋りょう)を通りかかった列車も撮ったので撮って出しします。

まずは、佐土原(宮崎)行き電車。この佐土原行きは1日1本です。

JR九州近郊型電車817系
JR九州近郊型電車817系

817系は普通列車では珍しい、本革シートと木を使った座席。

乗ったことはありますが、座り心地は固めなので、まさに近距離向きでしょうね。

(鹿児島県だと、鹿児島中央〜国分、または川内くらいまでなら耐えられるかなぁ)

 

こちらは国分行き気動車。国鉄時代からの生き残り、キハ47 & 140系。

JR九州キハ47 & 140系
JR九州キハ47 & 140系

昔ながらの味のある車両ですね。

乗り心地は線路の状態(保線の状態)によって変わります。

 

こちらは過去の写真になります。

817系4連
817系4連。1日1本、17時前にみられました。

実はこの編成、今となっては貴重なものとなりました。

とういうのは、鹿児島地区において3月のダイヤ改正より列車の編成が大幅に変わったから。

鹿児島中央〜宮崎行き列車のうち、一部が都城で運転系統が分離されたそうで、

415系電車が都城まで運用するようになったせいか、

これまで見られた817系4両編成(2両 1ユニット×2つクロス転換シート車)が415系(4両1ユニット、ロングシート車)に変更。

同時に朝の名物列車、都城発鹿児島中央行き817系6両編成も415系4両編成に変更。

かつては475系6両(3両ユニット×2)、717系6両(2両ユニット×3)という編成もいて見ごたえあったそうです。

最後に、白銀坂から重富駅に信号停車中の783系ハイパーサルーン5両編成。

こちらは1日2本です。

883系ハイパーサルーン。重富駅信号停車中。
783系ハイパーサルーン。重富駅信号停車中。

787系など、抜けている列車もありますが、それらは後日。

個人的には、撮り鉄というより鉄道旅行したい。

いわゆる、乗り鉄・・・ていうやつです。

Costa Victoria

今年は海外からのクルーズ客船入港が例年になく多く、86回は入港予定が確定しているそうです。

朝の7:00から8:00頃に入港、出港時間は17:00から22:00頃になることが多いので、

なかなか大型の客船が入港するシーンをタイミングよく見ることができないのですが、先日ようやくみろことができました。

4月29日。マリンポートかごしま(鹿児島港)にて。

イタリア船籍の大型客船”Costa Victoria(75166トン)”が13:00過ぎに近づいてきました。

n
旗を持つ人と入港してくる客船。

初めて見たのですが、岸壁には自動車レースのゴールで見かけるチェッカーフラッグみたいな旗を持った案内人が立っていました。

この旗は”N旗”というらしく、旗の位置と接岸した際、船のブリッジ(船橋、操舵室)の位置になるよう決められるそうです。

(定期船だと岸壁にペンキで印が書かれていることが多いですね)

コスタ・ビクトリア
コスタ・ビクトリア

70000トン超えるだけあって大きい。

このくらいあれば船酔いなんて気にならないのでしょうね(笑)

先頭部
先頭部。ここから係留用のロープが投げられる。
デッキ
デッキと乗船客。リゾートマンションみたいだ。

なんだかリゾートマンションみたいですね。

本船の船籍はイタリアなのですが、デッキ上には中国系を始めとするアジア人観光客が多く乗っていたような感じでした。

接岸後は多くの観光客がバスに乗り込んで行きました。

 

話は変わりますが実は、今年に入り特に感じることがあります。

それは

”鹿児島市の繁華街である天文館界隈において日本語を話す人よりも中国語、英語をはじめとして外国語を聞く機会の方が増えたなぁ。”

ということです。

”鹿児島の街もだいぶ国際化されていくのかなぁと思う一方で、昔ながらの天文館の街の雰囲気とはだいぶ変わっており、地元の人が気軽に遊びに行けるようなスポットが減っているのと、全国展開のお店が増えたのもあって街自体の面白みや活気がなくなっている。”

ことも感じられます。

地方都市が生き残るためはどうしたらいいのだろうか?

 

吾平山上陵

鹿屋市吾平町にある”吾平山上陵”

読み方は”アイラノヤマノウエノミササギ”または通称”アイラサンリョウ”と読むそうです。

ここは神代三山陵(じんだいさんさんりょう)のひとつにあたり、神武天皇の父にあたる彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)が埋葬されていると明治7年この場所に治定されたそうです。(埋葬地に関しては宮崎県の鵜戸神宮など他にも諸説あるそうです)DSC_0027

神代三山稜とは、神武天皇の曽祖父祖父にあたる天津日高彦火瓊瓊杵尊天津日高彦火火出見尊彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の神代三代を葬る陵です。

<参考>古墳と陵の違いは?

古墳➡︎3世紀から7世紀にかけられて作られた権力者や豪族のお墓。

陵➡︎天皇のお墓。

だそうで、意外と混同して解釈している方も多いかと思われます。

天孫降臨や山幸彦海幸彦、浦島太郎のお話にもつながるそうですが、私はそういう類の研究を行っているわけではないので、ここら辺のお話は割愛いたします。

 

ここまでは前振りとして、ここからは先週ここを訪れた際の感覚を残します。

西日本では次々にソメイヨシノの開花宣言が発表されているのにもかかわらず、

鹿児島県ではまだ開花の発表はされていなかった。

そんななか、当初は霧島方面に向かうつもりだったけれど、

出かける当日になり国分を通り過ぎたあたりから本当に思い立ったように大隅半島まで足を運んでしまいました。

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参道に向かう橋の上から

 

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参道の砂利道。

敷地外とは空気が全く違います。気の流れが良かったですね。

雰囲気が伊勢神宮に似ているので、小伊勢とも例えられるそうです。

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この山自体が陵にあたる
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鳥居が見えます

桜の季節だけあって、多くの参拝者が訪れていました。

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今年の桜。
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今年の桜。

吾平山上陵といえば、楓です。

新緑が素敵でした。

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桜のピンクもいいけれど新緑も良かったです。

紅葉の頃にも訪れてみたいですね。

 

東霧島神社と龍

先ほど載せた霧島東神社から車で30分ほど、宮崎県都城市には東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)もあります。

こちらも霧島六所権現のひとつにあたります。

隠れたパワースポットとはいうものの、霧島東神社に比べアクセスが良いところにあるためか、参拝客の多さには驚きました。

まずは入ってすぐにある神石から

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神石 正面から
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神石断面

切れ味がすごい。

御祭神である伊邪那岐命が切ったとも伝えられています。

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神石 後方から

不思議ですね。

 

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石灯篭
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こちらは太陽で。
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こちらは月なのか。
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本殿入口。
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鬼が待ち構えています。

そこには、急な石段が999段も続きます。

こんな昔話も。

ちなみに、この石段を振り返らなずに登り切れば、願いが叶うそうです。

階段を登りきると本殿です。

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本殿外観。

龍の姿が印象的でした。

境内には龍の姿をした木もあるそうです。

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この木もなんとなく龍のようにも見えます。

知人などからよく聞く話なのですが、東霧島神社は非常に男性的なパワーを持っているそうで、

男性向きな場所みたいです。

なので、女性の方は気をつけて参拝した方がいいのでしょうね。

私が訪れた時は、(体調のせいもあったとは思いますが。。。)

うまく表現はできませんが、そこまで変な(拒否を起こすような)感触はなかったと思います。

 

霧島東神社

お久しぶりです。

毎年春先になると、部屋の模様替えはほとんどしないものの、ホームページやブログのタイトルを変えることが恒例行事となっているようです。

ということで、今年も新年度に迎えて、ホームページのデザインやブログタイトルの変更をしました。

さて、正月に書いた記事では今年は良い年になると予想しています。

だだ、それほど外に出る予定ではなさそうなので、訪れた町の記録は主に昨年までにいったところを中心に整理できたらなと思うところで、今回は霧島地区から。

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御池から高千穂の峰

霧島は何度か訪れたことがあるけれど、宮崎県の都城市側を回ったのは今回が初になります。

写真は御池から高千穂の峰を望んだものです。

私は小学校の修学旅行で高千穂登山をしていますが、なかなかの急斜面でかなりきつかった記憶があります。

今年掲げた目標の一つとして、高千穂登山を計画。。。

しているところですが、体力的に全くないのが現状の私。

時間をかけて体力を復活させなければ。

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御池 別ショット

 

御池のほとりにある道路を山の方に進むとある神社が見えてきます。

 

霧島東神社。

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鳥居
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霧島東神社拝殿と本殿。

霧島六所権現の一つ。

伊邪那岐命と伊邪那美命を御祭神とし、
天照大神、 瓊瓊杵尊、 天忍穗耳尊、 彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊 神日本磐余彦尊が配祀されています。

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門守社

神社について詳しいことを書いているサイトは多々ありますので、ここで神社の説明的なことは省略いたします。

かねてよりかなりのパワースポットであるという話は聞いていたので、体調によっては入れないかもなぁ。。。と思いつつも境内にすうっと入ることはできました。

(私が訪れた当時の体調が相当芳しくなかったせいもあり)鈍いながらもいい場所だなぁと思うとこでした。

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神門
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遥拝所

ちなみに高千穂の峰の山頂にある”天の逆鉾”は霧島東神社の一部にあたるそうです。

もう少し身体の調子が良くなったらまた改めて訪れてみたい。

終戦から70年。

本日をもって太平洋戦争の終戦から70年目を迎えた。

私自身はもちろん、親の世代も戦後生まれになるけど、

祖父母は戦争に巻き込まれていたことになる。

実際、私の父方の祖父は長崎(浦上)の軍需工場に動員されており、

8月9日には原子爆弾の被害に遭い、足や心臓などに影響が出ていた。(原爆手帳ももっていました)

写真は長崎の平和公園近くにある爆心地にて。今年も縁あって長崎を訪れることができた。

長崎の、爆心地。
長崎の爆心地。
長崎の爆心地。
長崎の爆心地。

参考に、昔長崎を訪ねた記録の記事はこちらをクリックしてください。

8年前の今日、8月15日には広島も訪ねました。

こちらの記事も参考にしてみてください。

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長崎の爆心地。

長崎、広島の両原爆資料館もみてきたけれど、

現在の町並みからは想像できない地獄絵図であったのは容易に想像できるし、

身内が現場にいたのもあり身の毛がよだってしまった。

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長崎の爆心地。

次に、母方の方をみていくと母親自体の出生に不明な点が出てくる。

正確に言うと、私の母親の本当の父親がわからないのである。

戸籍上、母親の兄貴の父親は確定するものの、

その方はフィリピンのルソン島で昭和20年6月15日に戦死している。

戸籍上私の母親が生まれたのは昭和23年なので、つじつまが合わないので謎。

フィリピンではもう一名レイテ島で戦死した記録もある。

写真は指宿市開聞町にある、花瀬望比公園

ここから太平洋戦争で激戦地となったフィリピンことを想う。

指宿市の花瀬望比公園にて
長崎の爆心地。

その翌々日、6月17日には鹿児島大空襲でも身内に犠牲者が出ていた。

先の戦争から70年は経ったものの、

身近なものからまだまだ戦争の記録は引き出される。

遺構もだけど、我が家のルーツを調べていくにあたって、

報道だけでなく、意外と戸籍に戦争の記録が残っているものです。

最後に、今の日本は本当に戦後なのでしょうか?