霧島・高原 Ⅰ

10月11日、霧島の新燃岳が6年ぶりに噴火した。

下の写真は2011年の1月に噴火した時の様子から。

この後、3•11震災がおこる。

2011新燃岳噴火

ここまで大事になっているのか⁉︎

物見遊山ではないけれど、

霧島方面に来いと呼び出されたような気がしたので、

とりあえず車を走らせてみた。

まずは霧島神宮へ

霧島神宮の休憩所にある池

天気のせいか、温泉の色はこんな色だったのかなと思いつつ、境内へ。

霧島神宮

私の立っている足元にパワーを感じた。

特に気が強いところなのかなと思う。

霧島神宮の御神木
霧島神宮の御神木
御神木アップ
御神木アップ

枝の一部が神殿に向けて拝んでいるようにもみえます。

こちらは本殿の奥にある山神社。

山神社

知る人ぞ知るところですが、

こちらも参拝した。

続けて御池へ。

御池
御池

高千穂の峰や新燃岳は見えず、

噴火しているのか確認できなかったけど、噴火はしていたようです。

続く。

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ふじとばら

約1年ぶりの更新となります。

書きたいネタがなかったわけではなく、あれやこれやで頭の中の整理がつかない状態が続いていたのでお休みしていました。

さて、復活第1弾のお話は…

加治木まんじゅう、滝、花の香り、バラ、点と線、磯、アルケミストなど思いついたのですが今回は”ふじとばら”で。

今年の春先は今までになく花を見た年になった。

まずは5月初旬、霧島市の和気公園に咲いていた藤まつりより藤の花。

白い藤
藤棚

藤まつりは初めて訪れたのですが、

見栄えもさることながら花の香りが心地よか。

意外と外国からの観光客が多いことに驚き!

続いて、鹿児島市錦江湾公園に咲いていたバラの花。

Rose


バラといえば、the rose

優しくも力強い。

あとは、情熱の薔薇も。

答えは心のずっと奥の方にある。

まだ見えてないけど。

落陽 / Diamond Sakurajima

鹿児島のシンボル櫻島に夕陽が落ちゆく。

1

快晴の空の下、櫻島のてっぺんに陽が突き刺さる。

まさにダイヤモンド櫻島。

2

多くのカメラマンが三脚据えて夕暮れを見守っていた。

3あえて言葉は少なめで。

@霧島市中茶屋公園 (Nakachaya Park at Kirishima City)

赤い鳥居、白い鳥居。

最近あることに気がついた。

それは、私が赤い鳥居の神社に縁がないということ。

普通、神社の鳥居といえば、朱色を思い浮かべる方が多いと思う。

が、私の場合、赤い鳥居のある神社に入ったことがほとんどないなぁと最近というか、今日ふと思った。

たぶん、最近では霧島神宮の本殿と鹿屋にある荒平天神にしか行ったことないかもしれない。

しかも、霧島神宮にはコンクリートや山神社など朱色以外の鳥居も存在するので、

厳密に言う朱色の鳥居の神社には入ったことがないかもしれない。

 

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荒平天神。

 

現在連載中の放浪記でも、広島の厳島神社には入れなかったし、京都にある伏見稲荷神社には気味が悪くて入れなかった。

一方、香川県にある金毘羅宮にはすっと入れることができた記憶がある。

 

下の写真は日置市吹上町にある久多島神社の鳥居です。

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久多島神社。

 

 

6月、隣町の日吉町で行われた”せっぺとべ”というお祭りがあった際にここを

訪れたのだが、たまたまそこにいたおじさんと話をしたところ、

”白い鳥居の神社は珍しいのではないか?”

と話を振られた。

確かにそうなのかな。。。

と当時はそう思った。朱色やコンクリート、木製の鳥居はよく見かけるけど、白塗りの鳥居は初めて見たような気がしたから。

そんな話を6月に書こうかなと思ってはいたものの、

なかなか頭の整理ができないうちに、

今日まで経ってしまった。

そして、先ほどのことに気がついてしまったのです。

これからも私にとってはこの法則が適用されるのでしょうね。

 

終戦から70年。

本日をもって太平洋戦争の終戦から70年目を迎えた。

私自身はもちろん、親の世代も戦後生まれになるけど、

祖父母は戦争に巻き込まれていたことになる。

実際、私の父方の祖父は長崎(浦上)の軍需工場に動員されており、

8月9日には原子爆弾の被害に遭い、足や心臓などに影響が出ていた。(原爆手帳ももっていました)

写真は長崎の平和公園近くにある爆心地にて。今年も縁あって長崎を訪れることができた。

長崎の、爆心地。
長崎の爆心地。
長崎の爆心地。
長崎の爆心地。

参考に、昔長崎を訪ねた記録の記事はこちらをクリックしてください。

8年前の今日、8月15日には広島も訪ねました。

こちらの記事も参考にしてみてください。

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長崎の爆心地。

長崎、広島の両原爆資料館もみてきたけれど、

現在の町並みからは想像できない地獄絵図であったのは容易に想像できるし、

身内が現場にいたのもあり身の毛がよだってしまった。

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長崎の爆心地。

次に、母方の方をみていくと母親自体の出生に不明な点が出てくる。

正確に言うと、私の母親の本当の父親がわからないのである。

戸籍上、母親の兄貴の父親は確定するものの、

その方はフィリピンのルソン島で昭和20年6月15日に戦死している。

戸籍上私の母親が生まれたのは昭和23年なので、つじつまが合わないので謎。

フィリピンではもう一名レイテ島で戦死した記録もある。

写真は指宿市開聞町にある、花瀬望比公園

ここから太平洋戦争で激戦地となったフィリピンことを想う。

指宿市の花瀬望比公園にて
長崎の爆心地。

その翌々日、6月17日には鹿児島大空襲でも身内に犠牲者が出ていた。

先の戦争から70年は経ったものの、

身近なものからまだまだ戦争の記録は引き出される。

遺構もだけど、我が家のルーツを調べていくにあたって、

報道だけでなく、意外と戸籍に戦争の記録が残っているものです。

最後に、今の日本は本当に戦後なのでしょうか?

放浪記第一部。

今日の鹿児島の天気は久しぶりに旅に行きたくなるようなすばらしい青空となっています。

DSC_4662

「旅に出たい」

と思っている私ですが、ほとんど遠出ができなくなってしましました。

代わりに、今年に入り昔の旅の記録から本サイトへ原稿を引っ張り出す作業を地味に(笑)しているところです。

 

とりあえず、第1部九州北部編の編集は完了とうことで、

ここをクリック

すれば、昔の記憶が引っ張りだされます。

残りの記憶はなんとか今年中に完成させたいところです。

では。

Ⅰ -1.福岡市内

訳あって以前僕は11年程福岡市内に住んでいた。

ということではじめに「僕が住んでいた福岡市近辺のことについて触れることにしてみます。」

とは言っても住み続けていると写真を撮るなんて行為していないので、あまりいい写真は残っていないのが現状である。

当時はカメラ持って出かけることはなかった。

今も昔も変わらないことだがあれやこれや道具を揃えるためにはそれなりの資金が要るのであって、

「フイルムを買ったり現像したりするのもお金掛かるからなあ。」

とはいえ全く撮ることに興味がなかった訳ではなかったのだが、

「何しろ全然お金がなかったから手が出なかった。」

それもありの、どっちかといえばCD屋さんに通っていたからCD代に消えていったのも確かである。

話は逸れるが、このごろ本当に買いたいような音楽ソフトがめっきり減ったなとも思ってしまう。

ちなみに10年前は手元にカメラ持っていないうえにデジカメや携帯電話もそこまで出回っていなかったのに、現代は当たりまえのようにパソコンや携帯電話を持ち、フイルムもいらなくなってきたのはたしかである。それと同時に、久々地元に戻ったところ再開発が行われ僕と同世代の人たちが車を持ち子供がいる姿を見てしまうとホント時代は変わり年をとったのだなとつくづく思うこのごろである。

福岡市といえば天神や博多駅、他に西新や七隈界隈を思い出してしまうけれど当たり前すぎてデータとして残っていない。

いざ福岡をでることが決まると何らかの記録残さねば。

時期的に博多祇園山笠ならまだ間に合うな。

7月14日。数年ぶりに、

「もう一度最後に生で祭り観てみよう。」

となり早朝から(追い山は4時59分開始なので)お出かけ、いや、朝から出ても間に合わない。

すなわち徹夜だ。自分自身大勢の人たちと騒ぐのは性に合わないので。

夜中の博多の町並みを一人で徘徊。たしか夜12時前に家を出て2~3時間彷徨ったかな。怖さもあり寂しさもあったがワクワク感もあった。

2時半過ぎだったかな。出発点(櫛田神社)の辺り(正確には別の名称があったけど忘れてしまった)には歓声はないながらもそれなりに賑わってきたのだ。

3時を過ぎるとそろそろ見る場所を確保しなければならないので櫛田神社の近くにスタンバイしてみた。

あっという間に人だかりができてしまった。

ずっと立っているのはしんどいと思いながら我慢しているとようやく追い山が始まった。

テレビで見るのとは迫力が違うなと思った。

僕の目の前を過ぎたのは開始から30分くらいだった。

その時はすでにカメラ代わりに使っていた僕の携帯のバッテリーは使いきってしまっていた。

最後の山が通過してからちょっとだけ追いかけてみた。

6時過ぎ、あっという間に追い山の方は無事終わり、町並みは何事もなかったようにいつもの雰囲気を取り戻してしまっていたのだ。

不思議なことに平日であることが多いから、祭り終了後は仕事に行く人ばかりである。

もちろん僕も家に戻ってから仕事に出ねば、ちがった。当日は休み取っていたので家で爆睡してしまった。

夜の(中州)川端商店街。

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この山も走ります。

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スタンバイ。
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目の前を山が過ぎる。

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博多の有名な祭りといえば先ほど載せた祇園山笠と5月に行われるどんたくかな。山笠に比べどんたくの方は都合により生で一度しか観たことなく。実際、観たからといって、

「おもしろいか?」

といえば、

「う~ん。・・・」

と首を傾げてしまうのもまた事実かもしれない。特に若者がみるとそう感じるかも。

おそらく、どんたくは

「観る」

というより、

「参加する」

ことに意味があるお祭りなのだろう。とはいっても参加の仕方もわからずじまいかな。

ということで、どんたくに関しては写真撮っていません。

博多は非常に歴史のある町である。

福岡市近郊の有名スポットといえば太宰府天満宮や九州国立博物館や志賀島くらいは思いつくか。

志賀島は昔金印が発見された地である。

何度か訪れたことあったが現在発見された地は公園になっております。

特に変わったものがあるわけでもなく車を走らせたり、泳いだりボケッとするにはまあまいいところなのかな。

後述する能古島と同様に玄界灘からやってくる荒波や強風を感じることもできる場所である。

日本海側に位置するせいか、冬場は時雨れる時が多く寒風に吹きすさばれたこともついつい思い出してしまった。

いよいよ福岡の地を去る日が迫ってきた。

でも、その前に最後にぜひとも一度行ってみたい所があった。

そことは能古島のことである。

福岡市の西方にある周囲約12kmの離島。

時間があれば歩いて島を一周する予定であったが、時間の都合上ならびに意外と険しい地形だったため断念しました。

そのかわり、島一番の高台から福岡市内を撮ってみようと思い軽く登山した。

先ほどの写真もその一部である。

「長く住んでいたけれどももう見納めか。記念に残さねば。」

当日の天気は晴れ、でしたが、夏場特有の非常にもやのかかった空であった。

ちょっとは僕の撮影当時の気持ちも入っていたのかもしれない。

能古島から志賀島、海の中道ならびに玄界灘を臨む。

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能古島から福岡市(百道地区)を眺める。

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福岡の象徴。福岡タワー。

それなのに一度も登らずじまいでした。

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続く。

放浪記1 前書き

この記録は、私が2010年頃に、記録として残したものです。

まえがき

2008年8月、僕は思い立ったように放浪の旅に出たのであった。

とはいえ、まったくの無計画で行ったわけでもないのだけれど。

正確に言うと、ある程度時間と行き先は決めておいていたのだが、行った先で何をするかに関しては行き当たりばったりだったと思う。

今となっては一生の思い出になりそうだ。証拠写真もだいぶあるのでちょっと載せてみよう。

ただ、ひとつ残念なことが。というのは、なにを思ったのか、旅が終わり地元に戻った際、多数のパンフレットと時刻表をゴミ箱に捨ててしまったのだ。そのため、一部行程について記憶が曖昧になってきつつある。これはまずい。ということでこれから一昔前の記憶を呼び戻すことにするか。

ちなみに、2011年春、いよいよ九州新幹線鹿児島ルートが全面開業します。今住んでいる鹿児島から大阪まで寄り道しなければ約4時間で結ばれることになります。僕が生まれたころは夢のまた夢の話だと思っていたから信じられない気がします。それと同時に自分自身、お腹もでてきたことだし、年を取ったのかしら。話が逸れてきてしまった。

こんなことをしたきっかけは何だったのか。

数年前かな。

前職においていろいろとストレスを抱え込んでいたせいもあったな。

ある程度お金が貯まれば会社辞めて長旅しよう。

思い立って実行するめどがつくまで時間がかかった。

たぶん3~4年かかったろうと思う。

景気も全然良くならないせいもあり安月給のうえ、

追いうちをかけるように余計な出費もかさんでしまった。

「○○に行こう。」

と常に考えているのだけれども、ずっと妄想の中で終わっていたのであった。

そうこうしていくうちに、2008年春。

ようやく資金のめどがついてきた。

職場においてまかせられる僕の後釜もでてきたのでこれはチャンスだと思い7月に自由になり、

いよいよ8月に計画を遂行する運びとなったのである。

西日本見納めの旅。のはじまりである。

前半は「北部九州をゆく旅。」

後半は「西日本一周。とてつもなく長い寄り道。」

地元に戻れば二度と長旅をすることはないだろう。

福岡、山口、広島、岡山、兵庫、大阪、京都、兵庫、香川、愛媛、広島、福岡、熊本、鹿児島

の順で、計8日かかっています。

いわば、

「放浪記みたいなもの」

といってもいいのかなぁ。

特に、後半戦について後から振り返ると、日付も重要なポイントになってくるのだな。

あと、訪れた先で撮った写真もあるのでこれも紹介します。前置きはこれくらいにしておきます。

続く。

嘉例川Ⅱ

先日、霧島神宮に行った時の続きです。

前回訪れたのは、昨年の春(こちらをクリック)

この時は、春先の午前中だったけど、

今回は秋の夕暮れ。

季節的にも時間的にも対極なのをねらったのか、思いついたのがたまたまそうなってしまった。

嘉例川に行きたくなった。

まずは、霧島神宮から霧島温泉街に抜ける途中にある丸尾の滝。

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国道223線沿いでも紅葉がすすむ。

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坂本龍馬、お龍夫妻が新婚旅行で訪れたという塩浸温泉を過ぎ、いよいよ目的地へ。

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嘉例川駅肥薩線が観光路線として有名になる前、というより開通時(1903年)からすでに存在しており、駅舎自体は今年て111年ということになる。

嘉例川の3つ先にある大隅横川駅も開業時の佇まいを残しています。

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話が逸れますが、右上に飛び立つ飛行機。

意外と鹿児島空港の最寄駅なのでもあります。

時間的に「はやとの風」は見れなかったけれど、上下かから普通列車が来そうなので、しばらく待機。

今は1面1線しか使われていないホームだが、かつての鹿児島本線ということもあり、対面の元ホームと同様にホームの長さがかなり長い。

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まずは隼人行きの下り列車が到着。

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祝日とあって、乗降客はいなかった。

平日なら、通学の学生が乗降するのだろう。

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夕刻の駅舎内はこんな感じです。

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続いて、吉松方面行きの列車到着。

古い駅舎と、国鉄時代の車両が絵になります。

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「ななつぼし」とはいわずとも、まとまった時間とちょっとした資金があれば、また鉄旅をしてみたいものです。

機会があれば、昔の旅の記憶(文章)がどこかに残っているはずなので、ブログに残そうかなと思っているところです。

ではまた。

旧正月のころ。

8月9日は長崎に原爆が投下された日です。

初夏、久しぶりに長崎を訪れたのだけど、

2014年8月9日現在、平和な時間の終焉を迎えようとしている感がする。

世界を見てると憎しみがあらたな憎しみを生み出しているのだと思う。

悪い物を退治する発想がはばかっているけれど、

善悪について今一度考えていきたい。

A Gut Feeling 3rd edition

あけましておめでとうございます。

2014年としては早くも1ヶ月すぎてゆきましたが、旧暦(中華圏)では1月31日をもって春節ということなるので、この記事を書いている2月2日現在ではまだまだ新しい年を迎えたばかりのはず。

かつて私が福岡に住んでいた頃は必ずといっていいほど長崎まで足を運んでランタンフェステバル(春節祭)を見に行っていた記憶がある。
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写真は、昔の記憶から引っ張り出してきましたものです。

余談というわけではないけど、長崎を訪れた時は、中華街とはやや離れているのだが、浦上地区にも行くことにしていた。
というのは、今は亡き私の父方の祖父が浦上地区で原爆に遭っており、時代は変わりゆくも爆心地に行ってみたいという心情が働いていた。
祖父は(足の裏の負傷と心臓病を患いながらも)生きて鹿児島まで戻ってきた。
ただ、言葉にできない惨状であったであろう、祖父に一度も原爆について聞くことはできなかった。
あるいは敢えて避けたのかもしれない。心の傷を穿り返したくないから。
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年明け早々重い話になってしまったが、世の中の流れは危ないけれど多くの命を落とすようなことはしてはならんと思う。

さて、話はがらっと変わりますが、
ここ数年、西暦でいう年末から年明けにかけて体調を崩したり、いろんな物事が全然運ばなっかたりする。
西暦でいう新年を迎えても、なんとか形だけは正月らしいことをしているけど、気持ち的には沈んだまま年を越してしまう。
精神的に物事の運びが落ち着くのは旧正月を過ぎてからのような気がしてならない。
表面的には旧正月。。。あ、そうなんだ。。
なんて済ましているけど、中身(魂)としてはやっと年を越すことができたなって実感しているのであろう。

ひょっとして、アジア人というか東洋人が本来持っていた感覚なのかもしれない。
同じ人間同士、これ以上憎しみあうことはやめにしましょう。

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