沈黙(表現についての考察4)。

時々、表現のことについて個人的な考えをブログに書いてきたのだが、今回は沈黙をテーマに考えてみる。

どうして沈黙にこだわってみたかったのか?

というと。

声を上げて主張したとしても、どうでもいい人(興味のない人)たちにはただうるさたいだけにしか過ぎない気がしてならない。

実際、筆者自身パレード(またはデモ)に参加したことがあるけど、ただただシュプレヒコールをするだけでは威嚇しているようで相手も自分自身も怖さを感じてしまう。

あまのじゃくな面をもつ私だからかもしれないが、

騒がしい今日この頃、沈黙という手段を使って、何か表現できないのか考えてみたい。

沈黙で思いつくのがこの歌、

Simon & Garfunkel   The Sound of Silence

直訳すると沈黙の音となり、歌詞の内容は非常に難しくなる。いろいろ解釈している記事はあるけれど、

「社会が問題やメッセージを無視するというフラストレーションと不安。」

「人々にはコミュニケーション能力がある。周りを見て、お互いに愛し合うべき。」

という意味合いがあるそうな。

<参考記事>

Sound of Silence 歌詞を直訳して真相に迫る

今の日本はコミュニケーション不足に陥っていると思うし、

知らず知らずのうちに何も見ようとせず、知ろうとせず生きていく方向になっている。

続いて、沈黙といって思い浮かぶのはこの人。

マハトマ・ガンジー

彼はインド独立の父であるが、週に一度沈黙の日を設けて心の平穏を得ようとしたそうだ。

騒然とした世の中で心の平穏を求める為に沈黙したそうな。

暴動ではなく、非暴力、不服従による独立運動を指揮し、イギリスからの独立を果たした。

沈黙すると、社会に対する不安を感じる一方で、心の平穏を取り戻すこともできる。

沈黙はこの世で生きていくうえでの矛盾というか二面性とういうかを現しているのかな?

ちなみに、写真や絵画などは声を上げないで(沈黙して)物事を表現できる手段ですよ。

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表現についての考察3

私がとある友人からホームページ&ブログを書くことを勧められてから今月で約一年を迎える。

ブログを書き始めた頃は時間的に余裕もあり(当時としては・笑)練りに練った文章を書いていたつもりだった。

文章を通して何か表現できはしないかな。。ってとある連載企画も頭の中にはあったけれど、

今年の春からある仕事を始めたのもあり、脳みその中に文章を練りだす能力の衰えが出てきだした(泣)

短い時間で自分の想いをぱっと伝えられたらいいのだけど、なかなか難しいもの。

以前、

”伝える相手がいて、その相手に対してちゃんと主張、想いを伝えること”を”表現”

というのではないかと言う記事を書いたことがあった。

とはいえ、今年に入りどうしてもいただけない事柄がある。

“ヘイトスピーチ”

自分だけ良ければそれでいいのか?

憎しみがさらなる憎しみを生み出してしまう。

ここのところ、行動をとった人間に対して叩き落とそうとする風潮がいっそう強まっている感があり、

知らず知らずのうちに、物事を冷静に見る力を失っているのだと思う。

流されない!!

平和な世の中であれ!!

肝に銘じます。

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