ム。

無欠だと思っていたあの建物の

無残な姿を見た私たちは

無力さを感じた。

昔から恐ろしさを知っている者たちは

無念さを感じた。

無味・無臭のものが、

無数飛び散った。

無毒ではないとわかっているのに

無害なんてこと言う族までいる始末。

無神経な言動たちは

無垢な人々を傷つけ

無用な悲劇を生み続ける結末?

無能さを露にし

無責任極まりない君子がいれば

無私で闘い続ける戦士たちもいる。

遠くにいる我々は無関係だと思いたい。

でも、そんな気持ちこそ無情なのだと思う。

無名・有名は問わずとも

無数のひとが集まれば

無限の力を発揮する。

そんなこと無理?

無茶なことを言っているかもしれないけれど

無口でも主張は表せる。

無言デモいい。

でも、無関心なのはナシだよ。

ああ、無常。

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表現についての考察2

先日、表現についての考察1

という記事を書いたのだが、今回はその続きに相当する。

 

昨年、私は素人ながらとある動画を撮影、編集する機会があった。

編集しながら、

”同じ素材でも、編集者の意図によってどんなことを伝えたいのかが変わる”

と気づいた。

実は、一昨年あたりから、個人的に

”日本の大手マスコミの報道の仕方はおかしい(正確なことが伝わっていない)のではないか・・・!?”

と、 思うようになり、自分で映像を撮ってみて、なるほどなと思った。

受け手側からみると、

”ただ流されている情報を鵜呑みにしてはならぬ”

ということになる。

このエピソードをFBに投稿したところ、

”義務教育のカリキュラムに表現という教科を入れてはどうか?”

というコメントを頂いた。

義務教育で

”表現”

という教科を取り入れて欲しいなと思った。

表現という意味について、当初私は、

”自分の主張したいことを好き勝手にすること”

と認識していた。

しかし、よくよく考えると、

”伝える相手がいて、その相手に対してちゃんと主張、想いを伝えること”

が大事だということに気づかされた。

すなわち、

”自分の主張したいことを好き勝手にすること”

を、

”運動”

と言い換えることができ、

”伝える相手がいて、その相手に対してちゃんと主張、想いを伝えること”

は、

”表現”

と、言い換えることができそうだ。

次回へ続く。

天文館からちょっと海寄りの街。

天文館から鹿児島本港まで歩いて20分もかからない。

桜島桟橋(桜島フェリー)にも歩いていける距離だったりする。

90年代から鹿児島本港区はウオーターフロント開発ということで、昔ながらの港町は再開発され、様変わりした。

かつての暗くて怖いというイメージは払拭されたものの、 貨物線(臨港鉄道)のレールは撤去され、数多くあった石蔵(倉庫)は残すところ数えるほどとなった。

P1162848P1162849現在はテナントとして再利用されている石蔵もある。

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また最近では、市役所の近く名山堀もフューチャーされるようになり、易居町界隈は第二次世界大戦で焼け野原になった鹿児島市街地のなか、かろうじて昔ながらの街並みが残っており、多数の木造住宅がひしめきあっている。

今回、注目したいところは本港区でもなく名山堀でもないのだが、天文館からほど近く、でも昭和の雰囲気も残っている街(松原、堀江、住吉あたり)を歩いてみた。 (と、いっても私の実家の近所を散歩しただけなのだけど。)

先日普段この街に出入りしない友人と歩く機会があった。

鹿児島港や中央市場が近かったこともあり、かつては商店や飲食店、町工場、温泉などがあり街のことを知る人によると、このあたりでも下町の雰囲気(いわゆる『ALWAYS三丁目の夕日』の世界みたいな雰囲気)があったそうだ。

P1162845P1162842街が郊外に広がったためなのか、多くの若者が都会に出て行ってしまったためなのか、建物が古くなってしまったせいなのか、原因は挙げられるのであろうが、住人は減ってしまい、寂れていった感が出ている。

この文章を書いている私自身も状況によっては鹿児島に戻らなかったかもしれないひとりだったので。

改めて、私の住んでいる街を友人たちと歩いてみると、これまで当たり前すぎて気づかなかったこともあった。

新しいマンションがどんどん建つなか、意外と年季の入った建物も健在だ。

これまで私は新し物好きだと思っていたのだが、実はそうではなく、珍しい物好きだということに最近気づいたのだった。

天文館を歩く。

私が福岡から鹿児島に戻って4年ちょっと経つ。

当記事前半では、帰ってきてすぐに天文館界隈を歩いてみた時の感想を書いてみる。

2008年、北京五輪が開催されていたころ(またはリーマンショックが起こる直前)私は訳あって故郷である鹿児島に戻った。

天文館からさほど遠くないところで育ったのもあり、すごく馴染みのある街である。

福岡に住んでいた頃、休日になるといろんな町や商店街を歩き回っていた。

鹿児島に戻ってからも早速、天文館アーケードの中を歩きまわってみた。

昔(私が福岡に出ていった11年前)と何かが違う。

何だろうか?

この街に、面白さを感じなくなっていた。

何でだろう?

天文館以外に大型のショッピング施設が相次いで出来たからなのだろうか?

それとも、県外資本の企業が進出してきたせいなのだろうか?

これが当時の私が率直に感じたことだった。

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一言でいえば

”個性が無くなってしまった”

のであろう。

そう感じてしまったのは・・・

地方都市にみられる商店街(地元資本が残っているもののシャッターが降りている店舗が多い、いわゆるシャッター通り)と大都会にみられる駅ビルやショッピングモールとの中間みたいになってしまい、中途半端な街になってしまったなという感覚をもったからだ。

昔に比べ、個性的で面白い店がずいぶん減ってしまった。

欲しくても車を飛ばさないとない商品もけっこうある。

どこかの記事で見かけたのだが、天文館では2代目、3代目が育たないとも言われているそうだ。

昨年末、改めて意識しながら天文館を歩いてみた。

私が親に手を引っ張られていた頃に比べ、明らかに歩いている人が少ない。

私もそうだったのだけど、みんな大都会に憧れて鹿児島から出ていってしまったのだろうか?

それとも、中央駅や与次郎、谷山などに散らばってしまったのだろうか?

もちろん、天文館一極集中なのは考えものではあるが・・・

それにしても、かつての勢いがなくなってしまったのは確かだ。

中村てつろうを追う。

一部地域で話題となっている中村てつろうさんを追ってみた。

 

昨年12月2日、1 St Single『しあわせのはな』をリリースしたばっかりの彼であるが、かねてから噂はあったものの、 9月初旬、とある筋よりCDを制作しないかとうい話が正式に持ち上がり、あれよあれよというまに完成、12月2日発売となった。

CD情報についてはこちらをクリック

ここでは彼の活動報告をします。

12月2日 生命のまつり(鹿児島市・ライオンズ広場)で発売開始&ライブ。

降りしきる雨の中、待ちに待ったCDお披露目となった。

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12月19日 「ARTSのHigh Time Radio!」(FM鹿児島21:30~21:55)にゲストとしてフル登場。

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12月23日  チチビスコでCD発売記念パーティーが盛大に行われた。

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12月26日 ルツボックス3畳ライブ。

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12月27日  日置市・永吉歳の市にてCD発売ならびにライブ。

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12月28日  かごしま食の家族 餅つき会場にて。

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2013年1月1日  ホームレス支援の為の炊き出し会場にて、今年の歌い始め(写真なし)。

今後の予定

1月19日 枕崎のライブハウス「SHELTER」にてオープニングアクトとしてライブ出演。

日時:2013年1月19日(土) 会場:LIVE BAR SHELTER(〒898-0011枕崎市緑町4)

開場:19:00

開演:19:30

料金:1500円(1drink free)

出演:bingo・中村てつろう・さち・えびぞーユニット・コジマサトコ×コカリナゆか・CHI-ZOU・second hand stores・BON DX

予約・問い合わせ 0993725770(SHELTER 20:00~) shelter@po2.synapse.ne.jp

こんな感じで活動しています。

いろんなところでライブも精力的にこなしていますYO♪

今後とも、よろしくお願いいたします。

表現についての考察1

私が昔から抱えている悩み。

それは相手に私の言いたいことが伝わらないこと。

相手に対し、

”こう伝えたい”

と最初は意気込んで話しているのだけど、話していくうち、ちょっとずつ伝えたいことからずれていき、最終的には全く伝わらずに場が終わってしまう。

”こんなはずではなかったのに”

と反省というか後悔することの繰り返し。

以前、鹿児島は宣伝下手だと(参考・南京町からちょっと海寄りのストリートで。) 思ったのだが、なにしろ、書いている本人の表現能力が無さ過ぎるのは否めない。

少なくとも器用な方ではない。

私の周りにも

”鹿児島から発信するんだ(または発信しなけれがばならばならない)”

と思い込んでいる人はけっこういる。

だけど、なかなかうまくいっていないのが現実。

私もそうだったのだけと、

”最先端のものは都会から発信されるんだ”

という観念があり、地方に住んでいるとそれを受け入れるしかないのかなとも思った。

そこが保守的なのかな。

ちょっと話が逸れつつある(表現力@鹿児島については改めて書いてみます)ので、私個人としての実体験やいろんな人と話していくうちに感じたことを、今後このテーマ(表現についての考察)では書いていく予定です。

む。

年が変わって18時間ほど経つ。

昨年の12月は年を越せないのではないかと思ったのだが、残り1週間を切ったときから餅つき2度経験したことをはじめとして除夜の鐘をついたり、初詣に行くなど意外とお正月らしいことをしてみた。

年を越して、一眠りした後、なぜか頭の中に一文字思い浮かんでしまった。

その”一文字”とは?

であった。

昨年鹿児島でむ展の巡回展を観に行ったからなのか(私は武蔵美の卒業生ではありません)、年頭からアタマの中に”む”という字が思い浮かび続けている。

昨日書いた記事でも紹介したように、

本年は すべては自分から始まる。

がキーワードになると思う。

その前に、 ”む” になることが必要なのであろう。

む=無=0

余計なものをとことん省いていく。

家の中には、不要なものが山のようにある。

必要最小限のモノで回していけば良い。

次に住む所に余計なモノはいらない。

それと、”煩悩ともいえる余計な考えもいらない。

”む”

”すべては自分から始まる”

これが本年における私の生き方の指針かな。

本年の目標はまた改めて☆

hashirinuke