Ⅱ-5.京(その2)

8月17日。

 

ゆうべ実質夜更かしした僕は京都行き電車の中で仮眠をとって今日に備えた。

予定では午前中いっぱい京都市内を観てまわり、昼からは四国の方に移動するつもりだ。

見る場所は前回行った場所と同じになるが金閣、銀閣、祇園あたりを目指そうっと。

 

京都駅に着いた僕は早速金閣寺に・・・と思っていたけれど、まだ始発のバスすら出ていない。

しょうがないので駅の周りを散歩してみた。とりあえず駅の近くにある梅小路機関区に行ってみよう。

ここはかつて日本で活躍した蒸気機関車が多数保存されています。

 

 

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京都タワーから。 この写真の右端のあたりに梅小路機関区があります。鉄道(とくに蒸気機関車)好きにはたまらないところだ。

 

さすがに朝早いことだけあってまだ入場門は開いていなかった。

せめて機関区の建物が見えれば良かったのだけど、入り口からけっこうありそうなので残念ながら今回は見ることできなかった。

想像するに豊後森駅の近くにあるような立派な建物(ここにもかつては機関区があり建物が残っている)があるのだろう。

僕は再び京都駅に歩いて戻った。

ホテルはないかと思いみて回ったが、安い料金で泊まれそうなところは無さそうだった。

改めて駅周辺に宿泊施設がないなと思ってしまった。

 

ようやくバスの運行が始まる時間になったので、今日はバスで移動することが多いだろうと思い僕は市バスの一日乗車券を買って金閣の方に向かった。

金閣に到着してもまだ開門まで1時間ほどあって何もすることがなかったので、無駄なような気がしたがとりあえず世界遺産、銀閣に移動した。

(理想は金閣、銀閣、清水寺の順で観て回りたかったのだが・・・)

銀閣の近くの山(大文字山)を見るとゆうべの送り火の跡がはっきりと残っていた。

昨日の余韻も残っていた。

 

慈照寺。

京都東山文化を代表する寺院である。室町幕府第8台将軍足利義政により東山山荘として創立され、死後弔うためのお寺・慈照寺として創設された。

寺院内にあるのが銀閣である。

金閣にならって観音殿を建てたらしいのだが、どうやら最初から銀箔を貼ったような形跡はなかったようだ。

建物の中には観音像が安置されている。

屋根は“こけら葺き”と呼ばれておりサワラの板を3センチずつずらしながら重ねて竹釘で留める工法が使われている。

僕が訪れた時、ちょうど銀閣は修復作業中だった。

下の写真から推測するに屋根の修復をしているのだろう。

そのため残念ながら銀閣の全貌を見ることができずとても残念だった。

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国宝。銀閣。僕が行った時はあいにく修復中だった。

 

とはいえ、

「慈照寺は銀閣だけしか見所がない。」

というわけではないのである。

 

東求堂(とうぐどう)。

1486年建立で、この建物も国宝に指定されている。

初期の書院造の建物として現存する最古のものだそうです。

決して広い(四畳半の部屋がある)とは思わないがそれがいいのだ。

「わび・さび」を代表する建物である。

四畳半の部屋が茶室の元祖とされている。

国宝に指定されているだけあって建物内に入ることは出来ないのだが、外から見るだけでも十分趣があった。

室町時代なのでまだ千利休はまだ歴史上に登場していないか。

余談ではあるが、茶室といえば秀吉が作らせたという黄金の茶室を見に行きたいものだ。確か、大阪城にあるとかだったよな・・・。

お茶を趣味にしているなんていいなと思うこのごろである。

昔お抹茶を頂いたときすごい苦みを感じたことを思い出すのであった。

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国宝。東宮堂。

 

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枯山水の庭園。右奥に砂盛りがある。

 

 

庭園は石で敷き詰められた枯山水の部分と写真には載せていないが苔で覆われた部分もあった。

僕が見に行ったときにはちょうど庭の手入れをしているところだった。

石に線を引く作業や苔を育てているところを目にした。

苔にもいい苔と悪い苔があるらしいのだ。

日本庭園造りは非常に大変だということがわかったような気がした。

今回初めて銀閣のある慈照寺を訪れた。

銀閣そのものは修復中で見ることができなかったけれど、東求堂や庭をみることで日本庭園や“わびさびを”勉強するのに非常にいいところだった。

わびさびはある程度年をとらないと解らないな。

銀閣を出た僕は金閣に向かった。金閣を訪れるのは今回で2度目である。

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左大文字。

金閣寺の境内に入る前に昨日の名残をもう一枚。

金閣の近くには大文字山(北山)がある。

金閣が北山文化である所以だ。

場所柄ゆうべ送り火があがっている瞬間を観ることはなかったのだけれども、このあたりも見物客は多かったのだろうと思う。

翌朝にはひっそりしていた。

とはいえ、普段から観光客が多い場所でありますが・・・。

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平和の鐘。

鹿苑寺。北山文化の象徴。

このお寺の境内に金閣があるのだ。

室町幕府第3代将軍足利義満により西園寺の山荘を改築や新築することになった。ひとことでいえば“究極の豪邸“かな。

京都市内にある建物の中で1、2を争う絢爛豪華な建築物であろう。

明治維新の廃仏毀釈以前は現在よりもまだまだ鹿苑寺の土地は広かったみたいだ。

それでも寺の入り口から金閣までは結構距離があったな。

おまけに背の高い木も多数生い茂っていたから、なんだかちょっとした森の中にいるような感じだった。

 

 

鹿苑寺の境内に入るとしばらく庭園を歩いて回った。

するときらびやかなものが見えてきた。

これこそ金閣。

金閣も銀閣と同様かつては国宝に指定されていたのだが、1950年7月2日早朝、鹿苑寺舎利殿こと金閣に火が放たれ建物や内部の国宝が全焼する事件が起こった。

現場の状況からして犯人は見習いの僧侶だと判明した。

この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』の題材にもなっています。

それから再建されたのだ。

このため現在は国宝の指定から外されてしまっています。

(世界遺産にはちゃんと登録されているはず)『金閣寺』読まなければなあ。

美しい文章といわれていることだし。

ぜひとも一度は読んでみたい。

 

僕が訪れた時は金閣の方が派手で見どころたくさんあると思っていたが、いざ今回文書にまとめていく際先ほど載せた銀閣も面白いなと思うようになった。

(銀閣について書くことが多いのに対し思ったより金閣について書くことが無いような感じもする)

金閣より銀閣の方が歴史的に重要だということも納得できるのだ。

現代の日本家屋のルーツも含まれている。

 

なお、この項目を書いている際、久々ちょっとだけ室町時代の勉強をしてみた(正確には歴史の本を読み返したくらいだが)。

足利氏や勘合貿易、応仁の乱、一休さんなどのキーワードを思い出したところです。

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陸舟の松。樹齢約600年らしい。

 

 

鹿苑寺を出た僕は祇園、清水寺の方へ向かった。

行く途中に室町幕府から約380年後の歴史の舞台になる所がある。

 

二条城。

歴史的にこの名前で呼ばれた城はいくつかあるのだけれども、京都市中京区二条通堀川に江戸時代改修、落成されたものが有名である。

徳川家康が征夷大将軍に任命された後入城、大坂の役の本営となったり、幕末では14代将軍家茂が上洛した際に使われたりさらには15代将軍慶喜による大政奉還の舞台にもなったところである。

特に幕末で重要な舞台となったところだけに(ちょうど僕が訪れた年は大河ドラマで『篤姫』を放送していた)お城の中に入っとけばよかったなと思うこのごろである。そういうことを知らなかったからなあ。

時代の流れの中で焼失した部分もあるのだが、現在でも残っている建物もあり国宝や重要文化財、特別名勝として存在感があるのだ。

ということで今回二条城はバスの車内から眺めるだけで終わってしまった。

窓からではあったが明らかに多くの観光客が訪れているのがわかった。

今度京都に来たときは必ず行かねば。

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二条城。バスの車内から。

 

二条城を過ぎて20分ほどバスに乗っているといよいよ祇園界隈に到着。

とはいっても昼真っから祇園で遊ぶほど裕福ではないし(個人的なイメージ上、何もかも高そうな気がする。一見さんにお茶屋さんは入れないのだ。)、買い物をする予定もない。

ちなみに河原町には百貨店があるそうです。

下の写真のようにローソンの看板が青ではなく茶色であった。(なお、茶色いローソンは鹿児島の桜島にもありました。)

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祇園町。ローソンの看板が茶色です。

清水寺に向かう前にちょっと八坂神社にも寄ってみた。

当初寄る予定ではなかったのだが、まだ一度も行ったことがなかったので行ってみた。

夏場全国各地で行われる祇園祭の発祥の地です。

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八坂神社。

 

本旅行の一つ目のメインイベントである京都編も残すところわずかとなった。

あと2時間ほどで京都を発たねばおそらく今日中に次のところにたどり着けなくなるであろう。

「また清水の舞台を見にいかなければ。」

ということで、僕は7年前に続き今回も京都編の締めとして清水寺に行くことにした。

さきほど載せた八坂神社から歩いていけない距離ではないので、重い荷物を持ちながら歩いていった記憶がある。

途中ちょっとした坂(いわゆる産寧坂)を上がっていくと、いよいよ清水寺の境内に入るのだ。お土産は参拝後に買うとして清水の舞台にいかねばならぬ。

 

清水寺。

平安京遷都以前からある数少ない寺院のひとつである。

古い寺院であるためどの宗派に属するのかよく知らなかったのだけど、後から調べたところ元々は法相宗、現在は独立して北法相宗の大本山を名乗っているそうだ。

境内には京都の他の寺院同様、国宝や多くの重要文化財があります。なお、舞台のある本堂については後述。

そういえば、僕の家の近くには南洲寺というのがありここに月照のお墓がある。

彼は幕末の頃清水寺の住職をしていたのだが、尊皇攘夷派であり西郷隆盛と親交があった。

安政の大獄で追われる身となった彼らは錦江湾で入水しようとしたが、月照は死亡したものの西郷は生き延びた。

(この後、西郷は奄美大島へ島流しになってしまった。)

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まずは入り口。仁王門。重文。

さっきもいったようにちょっとした坂を上ると境内です。

階段を登ると手始めに仁王門が待ち構えている。室町時代建立。

よく見えなかったけれど(残念ながらおそらく気づかなかったと思う)金剛力士(仁王)像が安置されている。

柱や屋根の朱色がとても映えている。

ケータイのレンズにキズが無ければ(左端が)もっときれいに撮れていたのだが。あっ、そういえば外人さんもいっぱい来ていた。

 

本堂に入るまでにすでにいくつかの重要文化財を目にすることにした。

この他に写真を撮っていないけど三重塔も重文に指定されている。

ひとつの寺院であるが信じられないくらい貴重な建造物が多く建っているのだ。

随求堂の“胎内めぐり”にも寄った後いよいよ本堂へ。

胎内めぐりは暗い部屋の中を彷徨っていた感じだった。

おそらく人が母親の胎内から生まれるまでを表しているのだろう。

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“清水の舞台“こと清水寺本堂。奥の院から撮影。

境内に入り20分かけてようやく本堂に到着。

建物自体国宝に指定されているのだが、ホントに山の斜面に建っているのだ。

写真や実際にこの場に立ってみた感覚からして、舞台の先端(写真の中央寄り)の方は下のほうに落ちるような感じがした。

過去には実際に“清水の舞台から飛び降りた“人もいたらしい。

危険な崖ではあるがクッション代わりなのかしら木が生い茂っているのもあり飛び降りても生存率は高いらしい。

(もちろん現在は禁止ですが)なお、本堂の建物は『法華経』の「観世音菩薩普門本」に基づいて建てられているそうです。

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清水の舞台から京都市内を望む。 京都タワーも見えます。

 

本堂と奥の院の舞台を見た後、地主神社を目にして、崖を下りることにした。

清水寺拝観の締めとして音羽の滝の霊水を頂いた。

パワーが込められているのだろう。

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音羽の滝のあたり。 奥の院から。

 

そうこうしているうちに1時間ほど経ってしまった。

もう時間が無い。

清水寺だけでも見どころは十分あると思う。

なお、清水寺のご本尊など美術関連の重要文化財はなかなか拝観できないそうだ。たしかに僕も建物はよく見たのだが、それほど仏像など美術品を拝見した記憶がないなあ。

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清水寺参堂。 付近に産寧坂がある。

境内を出た僕は最後に産寧坂でこの旅唯一のお土産を買うことに。

実家に持って帰るように定番の生八つ橋を何箱か、オーソドックスなものと変り種を買った。

それと昨日に続けて抹茶味のソフトクリームを食べた。

他にも七味唐辛子や千枚漬けなどあるのだけど今回はパスした。

拝観料もかかることだしいくらお金があっても足りないや。

 

そろそろ京都編も締めというとで、このへんでまとめを。

改めて古都京都は広いなと思った。

まだ行ったことがない所も多数ある。

例えば宇治や伏見方面。

十円玉で有名な平等院鳳凰堂や幕末の歴史の舞台となった池田屋や寺田屋、近江屋、坂本竜馬の墓など。

それと二条城には行かねば。

またいつか行ければいいなと思う今日この頃である。

あと、昨日は京都ラーメンを食べたのだけれども、あまり有名ではないが多くの学生が住んでいるということで手ごろなB級グルメもたくさんありそうだ。

かの有名な餃子の王将は京都発祥である。

あっ、学生ということで『鴨川ホルモー』読まなければ。

 

それと、奈良にも行かなければ。奈良公園の鹿や大仏、“せんとくん“に会いにいくのも忘れないでおこう。

 

以上、京都編終わり。

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