Ⅰ – 5.長崎

ここ数年。再び歴史ブームが起こっている。

とあるゲームの影響かしら戦国武将ブーム(しかもゲーム上で彼らの姿はなんともイケメンに描かれていること)であったり、大河ドラマ「篤姫」や「竜馬伝」などに起因する幕末ブームであったりする。

僕自身戦国武将についてはそこまで詳しくないのだけれど、せいぜい織田信長や明智光秀、豊臣秀吉、去年大河ドラマ「天地人」で放送されていた関係で直江兼続とかは何とか分かるくらいだが、生まれた土地柄のせいか昔から幕末に関しては(特に薩摩藩関係者についてなら)多少は知識や興味があったかな。

ちなみに、鹿児島県民は西郷隆盛(せごどんとも呼ばれます)についてはものすごく詳しいと思う。

この文章を書いている2010年の大河ドラマは「竜馬伝」。

ということで今年は坂本竜馬がキテいる。

坂本竜馬。

いわずと知れた幕末に最も活躍した志士の一人だ。

竜馬も西郷さんも訪れたことある地といえば長崎。

そこで本節のテーマは江戸時代唯一外国との貿易を行うことができた地、長崎について見聞録を残してみようと思う。

しかも本章を書いているタイミングにおいて大河ドラマの舞台もここ長崎であるのだ。

長崎市。

九州西部にある県庁所在地であり九州旅行するにあたって定番の観光スポットである。

(僕も中学生のとき一度訪れたことがある。)

この町も博多と並び大陸に近いところにある。

先ほども述べたように江戸時代日本は鎖国の状態であったが、ここ長崎はオランダや中国との貿易が許された唯一の港町であった。

そのため異国情緒たっぷりだ。

僕が長崎を訪れた理由は今なら竜馬の足跡を追ってみたかったから、とでも言いたいところだけれど実際に訪れた時期は大河ドラマが始まる数年前のこと、しかも2月から3月の中頃(正確には旧正月の頃。年により若干のずれは生じてしまうのだが)までに向かったのだ。

一回だけ行ったわけではなく何年かにわたり訪れることになった。

というのは、僕が福岡に移ったときにはじめて知ったことなのだが、毎年旧正月になると長崎では2週間にわたりランタンフェスティバルが開催される。

このお祭りはいったいどんなものなのか一度は観てみたかったからなのだ。

ということで僕は2008年2月、ランタンフェスティバルまっ最中の長崎に。

福岡からだとそこそこ距離も時間も料金もかかる(博多・長崎間だと普通列車を使うよりも特急列車の2枚きっぷを買って乗る方がお得です。

しかも885系電車「かもめ」の座席は本皮シートで乗り心地も良かった。)ので、今回は途中下車することなく向かったのだ。

長崎駅に着いた僕はさっそく港の方に行ってみた。

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長崎港から、稲佐山方面。若干霞が。。。

長崎港。

 先ほど述べたように昔は諸外国との貿易港であったのだ。

南蛮貿易や鎖国中における中国、オランダとの交易。現在貿易の機能は東京や阪神などに移ってしまったのだけれども、湾内には造船所があり大型客船やタンカーを製造している工程がみられる。他に五島列島行き航路の発着場や漁港もある。

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一人たたずむ。

 海岸沿いをしばらく歩くと出島に着く。

安土桃山時代の頃は南蛮貿易によりポルトガルとの交易が盛んに行われていたが、江戸時代、幕府はキリスト教を排除する目的もあり鎖国政策をとっていた。

オランダ、中国とのみ貿易を行う方針をとった。

そのため、ポルトガル人は日本から追放された一方、オランダ人は中島川の河口の三角州などを埋め立てた出島にのみ居留することができたのだ。

幕末になると諸外国からの圧力により開国を迫られ開国することになり、出島以外の地区にも居住できるようになった。

その後、中島川の整備他により出島周辺は埋め立てられたらしい。

また、日本初の重要文化財となった。

現在、出島の施設および建物は復元されつつある(いくつかの建物では中に入ることができます)。

僕が訪れたときの感覚からして出島はそこまで広くないのではない印象があった。

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ミニ出島。出島の建物をミニチュアで再現してある。

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倉庫

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鉄製大砲。おそらく本物。

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オランダ船の模型。

昔はこのような船が多数出入港しておりとても賑やかだったのだろう。

 出島を後にした僕はしばらく海岸沿いを歩いてみた。

すると大浦地区に入るのである。

大浦といえば、グラバー園と大浦天主堂それと山手の洋館群。

僕はつい最近までグラバー邸の家主トーマス・グラバーはイギリス人であることを知りました。

それまではずっとオランダ人かと思っていたのだ。

ということは、グラバー邸が建てられた頃や坂本竜馬や岩崎弥太郎、西郷隆盛、小松帯刀など幕末の志士たちが訪れた頃には実質的には開国していたのだろう。

『竜馬伝』

を見ているとぶき商人であるグラバー氏は相当儲けたのだなと想像してしまう。

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グラバー邸。中は豪華だ。

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    グラバー邸内の食堂。セレブだ。       倉場富三郎像。

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リンガー邸。グラバー邸とならんで国の重要文化財である。

 グラバー園にはグラバー邸の他、様々な洋館(異人館)が移築されている。

僕は神戸の方にも行く機会があったので神戸・北野の異人館群にも行ってみたことあったが、各建物に入館するたび入館料取られたのでなんだか割高な気がした。

そのため神戸では「風見鳥の館」しか入れなかった。

それにくらべグラバー園はお得間があると思う。

ちなみに、僕の地元である鹿児島市にも磯仙巌園近くに異人館は現存しています。

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旧三菱第2ドックハウス。ここからの眺めは最高です。

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旧三菱第2ドックハウスから長崎市内を眺める。

ここからだと湾内に出入港する船がまるわかりだ。

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旧長崎地方裁判所。現在はレトロ写真館に。

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大浦天主堂。教会内のステンドグラスは見ものである。

 大浦・山手地区にはグラバー園とならび大浦天主堂という立派な教会が存在する。やしの木が目立ちますが、教会の建物の壁にはちゃんと「天主堂」の文字も刻まれています。

この時点ですでに異国情緒ただよっております。

昔から長崎にはキリスト教か浸透しているのだろうと容易に推測できるのであります。

あと、大浦の海岸地区には長崎ちゃんぽんの発祥の地「四海楼」もある。

(中学校の修学旅行で食べた記憶が。思ったよりあっさりしていてすごくおいしかった。)

大浦地区を後にした僕は路面電車に乗って移動した。

松山町停留所で下車。

引き続き僕が行きたかったところは浦上地区。

電停からしばらく山の方に向かって歩くと赤レンガの建物がみえてきた。

浦上天主堂である。

浦上地区。

幕末や明治維新から時代は進み昭和20年に起こった大事件のつめ跡が残っているのだ。

昭和20年8月9日。午前11時2分。

長崎市・浦上地区に(広島市に続いて)世界で二例目の原子爆弾が投下された。

町は壊滅的な被害を受け多数の死傷者が出た。

 後から知ったことですけど、当初の計画では北九州市小倉に落とす予定であったのだが、当日小倉の天気が悪く急遽投下地は長崎に変更になったそうです。

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浦上のシンボル。浦上天主堂。原爆により壊滅的な被害を受けた。

 戦後、浦上天主堂は上の写真のように再建された。

おそらく外部の人間は建物内に入ることはできないと思われます。

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原爆により落下した鐘。想像を絶する爆風を受けた。

 浦上天主堂を後にした僕は平和公園や爆心地のあるところに行ってみた。

いままで平和公園=爆心地だと思っていたが、実際のところ両地は数百メートルほど離れている。

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平和祈念公園にて。

じつは私の祖父も長崎の爆心地付近で原爆に遭っていおり、原爆手帳ももっていた。

軍需工場で働くために長崎まで駆り出されていた。

足を負傷したものの鹿児島には帰還できたが、心臓には負担が残っていたようだ。

今となっては生前、本人からどういう状況だったのか聞き出したかったのだけれど、

いろいろあってとても聞ける状況ではなかった。

過去のことを清算し、人間同士殺し合うような状況だけは避けたい。

そして、いらん戦いには巻き込まれたくないのが本音です。

 さて、だいぶ日も暮れてきたので、僕は再び長崎市中心部に向かった。

今回訪れたメインイベントであるランタンフェスティバルをみてみたったから。

先ほど触れたように長崎は外国との交易が行われていた地だ。

オランダだけでなく中国とも貿易が行われていた。

出島にオランダ人が居住していたのと同じように多くの中国人たちが唐人屋敷に住んでいたのだ。

そのため中国からも大いに影響を受けているのである。

旧正月や精霊流し、中華街、などなど。

寺院も日本国内で普通に見られるものとはかなり様相が違うの(日本最古の中国式寺院もあります。建物の塗装が朱色のものもある。まるでカンフー映画にでも出てきそうな感じだ。)であります。

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崇福寺

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仏像。多数のろうそくも並んでいる。

ろうそくの色といい、仏像の姿といい、日本古来のものとはかなり雰囲気が異なる。

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旧唐人屋敷界隈の観音堂

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こちらは福建会館

 

この時期になると崇福寺や旧唐人屋敷界隈は夜になっても非常に賑わうのである。(他の時期に訪れたことないけど、旧正月の頃は賑わうこと間違いない。)

常に人がおり、なかなかシャッターを切るタイミングがないのだ。

唐人屋敷では赤いろうそくを購入して町内4箇所廻った。

 

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興福寺境内にて

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(たしか)ご本尊様。厳かである。

 一方、繁華街から少し離れたところにある興福寺の境内は人影も少なく静かな空間であった。

僕は休憩がてらしばらく境内にいた。ちなみに、この時期夕方6時を過ぎると拝観料なしで参拝することができます。

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町並みも明かりがいっぱいだ。眼鏡橋にて。

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こちらは新地の中華街。上から明かりが照らされてアーケードみたい。

当然のことながら繁華街の方は人がいっぱいだ。

おまけに名物角煮まんや桃饅頭、ちまきなど中華料理などなど販売されている。

僕も(ちょっと値段が高いなと思いつつも)ついつい角煮まんを買って食べてしまった。

当然うまい。

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これこそ。ザ、ランタン。

 

おそらく、ご神体または昔の中国の偉人さんだと思う。ばっちり撮れたはず。

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鶴は千年、亀は万年。

 理想はこのまま一泊して帰りたいところだったけれど時間の都合により最終電車で福岡に戻った。

稲佐山から眺める長崎の夜景は日本三大夜景にあげられるほどすばらしいからなあ。

 

僕自身まだ行ったことがなかったり写真を撮っていなかったりする長崎の名所はあるのだけれども、あれこれ話していくとすごく長くなるのでそろそろ本章を締めようと思います。

他に長崎市内の観光名所といえば、稲佐山やシーボルト関連施設(鳴滝塾やシーボルト記念館など)、亀山社中、孔子廟それに島原半島(このうち一部については以前訪れたことあるけれども)も行ったことないのでまたいつか行けたらいいなと思うところであります。

続く。

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